何もない時に考えてしまうこと
12月に入り、何もない日が続き、ただ家で過ごすだけの日が続いています。
それと言うのも精神的に支障をきたしてしまったがためにお仕事を辞めたからです。
精神的な回復をするため、療養するため、ニートに近い状況です。
私はコンカフェによく行っていまして、推しのキャストさん(以下推し)がいるわけですが、推しにもあまり会うことが出来なくなり、これからはもっとそうなるでしょう。そして、今月に推しの誕生日イベントがあるんですが、行けないでしょう。
なぜなら、動けなくなるかもしれないからです。
調子が悪い日はベッドから動くことも出来ませんが、調子が良ければ外に出てサイクリングするほどには元気です。
まあ、調子が悪くなるきっかけはいろいろありますが、その一つに精神的に負担をかけた日や翌日などに起こります。先日も少し負荷のかかることがあり、翌日動けなくなりました。その日は半日で何とか動けるようになりましたが、これが何度もあるようでは働くことはできません。
推しの誕生日を祝いたいのは本心であり、会いたい話したいなど思っています。しかし、その周りで起こること、起こっていることが私の負担となってしまっている現実があります。なんとか意思を伝えようとしていますが、それも潰えようとしているので、もどかしく悔しいものであります。
心情を吐露したところで、ひとりの客がいないだけなのでどうも思われないのでしょうが、そのひとりも大切にしてくれるようなだったら、また会いに行けるのかな、なんて。
ここで言ってしまうと、イベント当日に自分がどうというより、自分が行くことで何か起こってしまうんじゃないかと言う懸念もあり自粛しようか、と思っているのです。
エゴなのかもしれません。でも、自分以外のお客さんが楽しめず、推しが当日に涙を流すことになってしまうのは本末転倒でしょう。
一番になってと言われました。現状、全部の一番にないのが今の私です。
でも、「一番」長く推すという約束ぐらいは守りたいものです。
また心置きなく笑いあえたらいいな、と思うばかりです。
塩崎奈央